石見銀山史跡 勝源寺

 竹村丹後守と勝源寺  



 これは勝源寺の大旦那となった、石見銀山奉行、竹村丹後守道清の墓所。
 宝蔵院流槍術の免許皆伝であった竹村丹後守は、徳川家康の窮地を救った事から、その信任が厚く、感謝状も貰っている。
 竹村丹後守は、世界の銀産出量三分の一を占めていた石見銀山で、二十二年も奉行を務め、江戸幕府の財源を守ってきた。


 右の写真は、竹村丹後守が、家康の死後に建てた東照宮。
 徳川家十二代将軍までの位牌と、家康並びに十六将図や、三つ葉葵入り茶碗などが奉納されていた。

 現在位牌は本堂に安置され、家康並びに十六将図は庫裏の展示ホールに展示されている。




 この他、勝源寺には、六人の代官の墓所がある。

 当時、石見銀山には、二十万もの人口があったとされ、寺は百ヵ寺もあったという。勝源寺はその中にあって、筆頭格の寺として栄えた。
 中央から銀山に派遣されてきた役人達は、その眠りにつく場所に、勝源寺を選んだという。



関忠大夫 森八左衛門 前澤藤十郎 會田伊右衛門 鈴木八右衛門


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